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「愛娘と難聴を生きる」 

とうとう恐れていたことが、現実になってしまった。
私の娘も小学校2年生になり、5月に学校の聴力検査でひっかかってしまった。
視力検査では、0.2の近視を指摘されたばかりなのに・・・・

学校からの指示もあり、私自身が娘を近所にある耳鼻科に連れて行き、改めて聴力検査を受けさせた。

聴力検査の結果を表すオージオグラムは、程度の差はあれその曲線が人の声の音域帯が非常に苦手な私のそれと酷似していた。

医師は「遺伝性の疑いが強く、直る見込みは無い」という。

「やっぱり、遺伝か・・・・パパの血を分けたばかりに・・・すまない。」

私の母方は難聴の家系で、親戚の中でも補聴器をつけている者はめずらしくない。
実際に私だけでなく、実家の母や弟も補聴器のお世話になって生活をしている。

私自身もそんな難聴家族の中に育ったこともあり、いずれ歳をとれば耳が遠くなるのは自然なことだと思っていた。そして、私や弟はたまたま一般の人たちよりも成長が早かっただけだと前向きな気持ちで生きてきたし、そう育てられて来たように思う。

しかしながら、いざ自分の娘のこととなると正直なところショックを受けてしまった。

私の血を分けたために、これから先は難聴という不便さを常に背負いながらの人生を送らせてしまうのかと思うと、申し訳ない気持ちと娘の将来が不憫に思えて胸が締め付けられた。そのため、生まれてこの方滅多になかったことであるが、数日間気が滅入っていた。

健聴者である家内のほうは「なるようにしか、ならないでしょう」と、むしろ自然にまかせるが如く、特に動じることもなかった。こういう時は女性の方が、男性よりもはるかにたくましく、器が大きく見える。たいしたものだ。

そういえば・・・
ふと振り返ってみると、難聴である私の母も同様に難聴となってしまった息子たちに対し、きっと今の私と同じ思いをしていたに違いない。それでも、前向きに強くたくましく生きていくことを教え続けてくれた母の姿しか私の記憶には無い。
それに私自身も難聴が母から遺伝したからと言って、母を恨んだりする気もまったく無かった。

むしろ他にも病気をかかえており、何度も死にかけた私を全寮制の養護学校へ入れ、転地療養によって身体を鍛えながら、精神的にも強く育ててくれたことに、言葉では表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいだ。

そうだ、難聴は「不便だが決して不幸では無い」。

そう思って生きてきたし、今も自分自身がそう思って生きている。
私は、これから同じような不便さを背負っていかなければならない娘に対して、身近に生きつづけている難聴の先輩として、強くたくましく生きていく知恵や工夫を教えながら、娘の将来を見守っていこうと心に誓った。

※これは昨年、東京都中途失聴・難聴者協会の機関紙に投稿したものです。


 


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[2005/08/20 18:08] お知らせ | TB(0) | CM(4)

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[2005/08/20 14:05] [ 編集 ]

いつもブログを拝読させて頂いております。
私の母も癌で声を失い、不便な生活を余儀なくされておりました。すでに他界致しましたが、彼女は最後まで前向きで、時々絶望しながらも社会参加を諦めませんでした。
母を励ますよりその姿に励まされることの方が多かったように感じます。
母は強し!ですね。

[2005/08/21 11:46] 桃レンジャー [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

桃レンジャーさん(懐かしいですね。)
いらっしゃいませ。
また、コメントをありがとうございました。
お母さまも、立派でしたね。
私も、日々心を強くして生きたいと心がけております。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

[2005/08/21 12:11] 益田 [ 編集 ]

益田さま。
相互リンクさせて頂きました。
こちらこそ、よろしくお願い申し上げます(@^^@)

[2005/08/21 14:41] 桃レンジャー [ 編集 ]

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