※かがやきパソコンスクールが発行しているメールマガジンのバックナンバーです。

(かがやき ニュース(No.207) 2006/10/27より)
今回は、「とりのこされてしまう聴覚障害者に」ついて、私なりの考え方を紹介したいと思います。
私の小さい頃といっても既に40年近くも前のことになりますが、しつけのためにお尻を叩かれたりゲンコツをもらったりというのは当たり前のことでした。その時に、どこの大人でもよく言う言葉として「言ってわからない子は叩くぞ」だったと記憶しております。
「言ってわからない」というのは、普通の生活の中ではとても困ることだったのでしょう。また、言葉の通じない外国人に道を尋ねられると、どうしていいか分からないといった人も多く見受けられます。そのくらい言葉が通じないということは、とても大きな障壁になるようです。
ところで身体障害者は、何がしか他人の力を借りないと社会生活に支障をきたしてしまうことから、その種類や程度に応じて制度上「身体障害者」として認められています。他人の力を借りないとならないことから、善意でお手伝いをしてくれるボランティアや行政サービスなどに助けられる場面も少なくはありません。
ところがこうしたボランティアや行政サービスも、「言葉が通じない」という障壁のせいか、聴覚障害者に対するボランティアやサポータ、行政サービスなどが他の部位の身体障害に比べて少ないようです。ハローワークの障害者向けの求人件数を見ても、求人全体の5%もありません。言葉の通じない人はサポートのしように困るのでしょうか、社会参加をしたくても手を貸してくれる人が他の部位の障害に比べ圧倒的に少ないように感じております。
このように「言葉が通じない」や「言ってもわからない(聞えない)」ということから起きるコミュニケーション障害は、人と人とを切り離し疎外感と孤独を感じながら生活していくことを強いられてしまう障害といえます。
もちろん音声会話を中心とした対面でのコミュニケーションが難しくとも、パソコンやインターネットを使うことによって解消される部分もあります。しかしながら、私自身は道具に頼らずとも聞える人も聞えない人もお互いに心を通わせあおうという努力をしていくことのほうが、人として正しい道のように感じております。
次回は、「情報のユニバーサルデザインは字幕から」と題して、草の根的に字幕製作に取り組む人たちとの関わりを紹介したいと思います。
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