
3年前に、ある地方自治体のIT講習会に私たちがお手伝いに行った時の事。
その時に参加された宮崎章嘉さん。
いずれは、かがやきパソコンスクールでパソコンを学んでみたいと思われていたそうで、昨年11月に私たちのスクールの会員になられました。
この宮崎さんは、私の知る限り数少ない聾唖の会社社長で、三鷹で不動産の管理会社をされているそうです。
いや、正確には「されていた」のでした。
宮崎さんに最初にお会いした時に、全身から出る仏様のような優しく暖かいオーラを感じたのを記憶しています。
「鏡というのは大きく磨いても1面だけしか照らしませんが、珠(たま)は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らす。」という言葉がぴったりな印象を受けたものです。
きっと、誰にでも誠実に対応し、善行を積まれた方なのだと思います。
スクールへ通われたのは、宮崎さんの仕事が終わったあとの夜間でした。
仕事が終わり、三鷹から片道約1時間半の道のりを通われながら、足掛け約4ヶ月パソコンの学習をされていました。
「いつも会社の女の子に任せっぱなしで悪いので、自分でも少しは出来るようになりたい。」
こんな話もされていました。
また、宮崎さんは経理にも強く、専門学校で教鞭をとられたとも話されていました。
昨年暮れ頃からお仕事が忙しくなったのか、予約された日時でのレッスンが出来なくなることもしばしば。
それでも、なんとかレッスン日を振り替えながらも、熱心にパソコンの学習をされていました。
夜間に対応しているスクールのスタッフには、「残業で大変だね。身体には気をつけてね。」と声をかけ、「スクールでいつもおいしいコーヒーをご馳走になっているので、これを持ってきました。」と言って、大きな紙袋に沢山のコーヒー豆を持ってきてくださったこともありました。
先週水曜日の夜、宮崎さんが来られた際には、私は他の用事があり出かけておりましたところ、「益田さんと、一度じっくり話をしてみたいと思っています。」とスタッフに告げられたそうです。
今晩、その宮崎さんのお通夜に出かけてきます。
今となっては、故宮崎さんになってしまいましたが、大変残念な思いです。
聴覚障害者としてだけでなく、人として、誰に対しても誠実で、おもいやりがあり、謙虚で驕らず、飾らず前向きに進まれるその姿勢は、多くの人たちに貴重な財産を残してくれたものと思います。
享年66歳。
あまりにも惜しい、と思うのは私だけでは無いと思います。
「益田さんと、一度じっくり話をしてみたいと思っています。」この言葉を残して他界されてしまった以上、これからは私自身の心の中の宮崎さんとお話をするほかはありません。
ご冥福をお祈り申し上げるとともに、今後も私の心の中でご指導が賜れますように。
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益田さん
今とっても寂しいお気持ちで、そしてお力落としのこととお察しいたします。
>「益田さんと、一度じっくり話をしてみたいと思っています。」
宮崎様は1週間前に増田さんに会いにこられたのですね。そのお気持ちはきっと増田さんに響いていらっしゃるのだと思いますが・・・。(お二人のご関係を知らない私が勝手なことを申し上げてすみません。)
宮崎様の安らかなるご冥福をお祈りいたします。
[2007/02/15 10:09]
chicyan
[
編集 ]
いつもお世話になっております。
昨夜は、お通夜に出かけていきました。
私がざっと見るに400人は居ただろうとういうくらいに沢山の弔問客が訪れておりました。
故人がいかに人徳のある方であるかが、そこからもよくわかりました。
私も悲しいお知らせの記事を書いたばかり
だったので、ココにきて、同じような記事で
より一層の悲しみとなりました。
私との関わりはない方ではあるけど、宮崎サマの
思い、ずっきんサンの気持ちを思うと。。。
宮崎サマのご冥福をお祈り致します。
- 合掌 -
[2007/02/16 10:42]
きよきよ@会社
[
編集 ]
いつもお世話になっております。
早速そちらへも伺わせていただきました。
ショックですね。
お若いのに、残念です。
生き残った私たちは、亡くなっていった方々に恥じないように生きていかなければならないと思います。
こんにちは!石井です。
これは残念なお話ですね。またあまりにも急な感じです。
>「鏡というのは大きく磨いても1面だけしか照らしませんが、珠(たま)は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らす。」
この言葉が印象に残りました。
いつもお世話になっております。
そうなんです。
全く残念でした。
後で知ったのですが、無くなった宮崎さんは会社を経営していただけでなく、税理士さんでもあったのでした。
しかも、聴覚障害の学生さんたちを支援する活動もされておられたそうです。
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