仕事柄(?)対人関係についての相談を受けることがしばばあります。
今日のご相談を要約すると、以下のようになります。
実際には、あれこれと職場の方の「困った点」について、自分がどれだけ悩んでいるかを書かれたメールでした。
「職場の人で、いちいち自分の事を鼻にかけたように自慢ぽく話す人が居て好きになれません。一緒に仕事をするのがイヤなので、いっそのこと転職をしてしまおうと考えています。パソコンの資格を取れば、良いところに転職できるのでしょうか?」ご相談の主は聴覚障害をお持ちの女性なのですが、補聴器を使って対面しての会話が可能だとのことでした。
それで、職場の方の「鼻にかけた」話がわかるのですね。
ありがちと言えばありがちなご相談なのですが・・・・
全部が全部だとは言いませんが、どうも人間というのは心がけて練習しないと、「ただ1点の気に入らないこと」があると、相手の全人格まで否定してしまうところがあるようです。
「鼻にかけたような」話をされている職場の方も、良いところが沢山あろうかと思いますが、ただ1点イヤなところがあるとそれすらも見えなくなってしまっているのかも知れません。
(違ったらごめんなさい。)
よく人間は「不完全な生き物」といわれるように、誰でも大なり小なり良いところや優れたところを持っていますが、その反面「困ったところ」も同様に併せ持っているものかと思います。
その人のたまたま「困った点」が見えたとしても、それで全人格まで否定してしまっては「わかり合う」などということは到底できないことだと思います。
ましてや、私たちのように身体に障害を持っている人達が、その1点を捉えて全人格を否定されてしまっては立つ瀬が無くなってしまいます。
実際に身体が不自由なことを周囲に理解してもらわないと生活がしづらい、あるいは出来ないといった当事者自身が、相手の「困ったところ」だけを捉えて全人格を否定するようなことを言ってしまったら、自分自身だって到底理解してもらえなくなってしまうことと思います。
誰しもが良い面も困った面も持ち合わせながら、共に社会を生きていると考えれば、もっと余裕を持ったお付き合いもできそうな気がしています。
ご相談くださった方への回答そのものは割愛させていただきますが、「わかり合う」というのは「わかって欲しい」側から相手に歩み寄り、気を配っていったほうが実現しやすいものと思っております。
こんにちは!石井です。
確かにありがちなお話ですね。
こういうお話を聞いてもにわかにいい考えが浮かばないのですが、転職を考えてもまた同じような問題が出てくるような気はします。
自分だったらとりあえず支障のない範囲で物理的、心理的に距離を取ることを考えるかな?
>ましてや、私たちのように身体に障害を持っている人達が、その1点を捉えて全人格を否定されてしまっては立つ瀬が無くなってしまいます。
本当にそうですね。
私も似たような経験があります。
辞めたいって思っていました。
相手は全く悪意はありませんし、こちらも相手の事は好きなので、私の「心の器」ができるまで適当な距離を置くことにしました。
最初はその距離に、相手も戸惑っていたようですが、理解してくれたおかげで、今は良い関係が、復活しつつあります。
結局は、何も言わず私の事を見守ってくれたおかげで、この関係が続けれたのだと思っています。
距離を置いたおかげで、職場の人の良い所が
また見れた気がします。
短見に思ってしまうと、きっとこの事を知れなかったなと思います。
その相談された方も、職場の方も、また良い所を発見できる機会が持てると良いですね。
[2006/11/07 07:47]
じょうた
[
編集 ]
益田さん、こんにちは!!
>実際に身体が不自由なことを周囲に理解してもらわないと生活がしづらい、あるいは出来ないといった当事者自身が、相手の「困ったところ」だけを捉えて全人格を否定するようなことを言ってしまったら、自分自身だって到底理解してもらえなくなってしまうことと思います。
私もその通りだと思います。
その方と距離を置くとか、逆に一歩踏み込むとか自分なりの解決方法を見つけることが重要だと思います。
[2006/11/07 11:28]
ヤマニ
[
編集 ]
”「困ったところ」も同様に併せ持っている”のはしごくごもっともです。しかし、相談者の気持ちも理解出来る方が殆どではないでしょうか。
私はこのようなことを次の様に感じています。
隣人の自慢話が強く気になる人は、本人も同じ事をしてしまう要素を強く持っている。つまり、自己顕示欲が強い人は他人が自己顕示するのが嫌なのでしょう。
或いは事あるごとに他人をそしっている人は、他人からちょっと非難されるだけで声を震わせて怒る。
また、このような人は自己愛が強いかも、自己愛は愛の反対かも、どうも臭くなってしまいました。
こんばんは!
対人関係はいちばんあたまがいたいとこですね
でもにげていてはその場限りはよいかもしれないけですがなんの解決にもなりません
一歩踏み込んで真っ向勝負!
自分の居場所は自分で確保する!
時にはそんな気概も必要ですね
案外 腹をわって面と向き合うといい人かも?
いつもありがとうございます
わたし自身、以前言葉が過ぎて誤解されたことがあったので、こんどは人と距離をおくようにしたら、今は逆に言葉が足りないために誤解されることが多くなったみたいです(とほほ・・・)
なんだかなぁ~(´-ω-`)
ひとつ悪いとこあると、全否定する人いますね
なんでそんな悪と善ってふたつに分けちゃうんだろ
それだけ自分は完璧と思うものなのでしょうか?
お互いの立場に立って考えられるような人ばかりならいいんですけどね、難しいですね
いつもお世話になっております。
>自分だったらとりあえず支障のない範囲で物理的、心理的に距離を取ることを考えるかな?
そうですね。
それも1つの方法だと思います。
人によって、場所によって、その時の状況や環境などに応じてさまざまな方法があるかと思いますが、結局自分自身が変わっていかないことには解決しないかな、と思っております。
相手に変わってもらうことを期待するより、よっぽど自分自身でコントロールができることですから。
いつもお世話になっております。
>距離
そうですね。
それも1つの方法ですね。
距離を置いて客観的に見直して見ると、また違った面も見えてくることもありますものね。
対人関係では「マニュアル」のように標準化されたものが無いだけに、さまざまに体験しながら身につけていくのでしょうね。
それだけに、自らが一歩踏み出していくことが大切なきっかけになろうかと思います。
いつもお世話になっております。
>自分なりの解決方法を見つけることが重要
結局は、そうなんでしょうね。
ただ、そこにたどり着くまでに迷路のようにはまってしまって動けなくなってしまう人もいるようです。
いろいろな意見を聞いてヒントを得ながら、その中から気づきが出てくれば良いですね。
いつもお世話になっております。
こちらでは、珍しいですね。(^O^)
>相談者の気持ちも理解出来る方が殆どではないでしょうか。
そうだと思います。
おそらく皆さん、大なり小なり似たようなことをご経験されていることと思います。
ただ私の経験上、多くの場合は「相手が変わるのを期待しても、そのとおりにはならない。」ので、自分からウマく変わっていかれるようにできたら良いな、と思っております。
かといって相談者のように「会社を変わる」というのも方法のひとつですが、少々ショートしている感じがしています。
いつもお世話になっております。
>一歩踏み込んで真っ向勝負!
>自分の居場所は自分で確保する!
(⌒▽⌒)アハハ!
えもっちさんらしいですね。
それも積極的な解決方法だと思います。
自分が変わっていくことによって、また見え方も違ってくることもありますものね。
いつもお世話になっております。
>ひとつ悪いとこあると、全否定する人いますね
(⌒▽⌒)アハハ!
身近にもおられますか。
>それだけ自分は完璧と思うものなのでしょうか?
どちらかと言えば、思考回路が単純なのかも知れませんよ。
>お互いの立場に立って考えられるような人ばかりならいいんですけどね
そうですよね。
過去の刑事裁判の判決文などを読んみるとわかるのですが、他人を思いやる気持ちというのは、人間が持つ高度な能力のひとつのようです。
その能力が不足していると「身勝手」になるそうですし、欠如していると「善悪の判断もつかない」そうです。
そうだとすると、一体どこを直したら良いのでしょうかねぇ。(^_^;)
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